【実践するヨガ哲学vol.2】「サティヤ」: 自分の心に嘘をつかない
ヨガの八支則の最初に出てくるヤマ(禁戒)、二ヤマ(勧戒)の各5項目を10回に分けてご紹介していくシリーズ。前回は“アヒンサー(非暴力)”について私なりに解説させていただきました。
第2回目は、サティヤ/Satya(正直)です。
1. ヤマ/Yamas 【禁戒】
他人との関わり合いの中で、慎むべき行為のこと。
アヒンサー(非暴力)、サティヤ(正直)、アスティヤ(不盗)、ブラフマチャリヤ(禁欲)、アパリグラハ(不貪)
2. 二ヤマ/Niyamas 【勧戒】
自分自身とのより良い関係を構築するため、進んでやるべき自己鍛錬。
シャウチャ(清浄)、サントーシャ(知足)、タパス(苦行)、スワディヤーヤ(聖典の学習)、イーシュヴァラ・プラニダーナ(神への献身)
さて、正直、つまり「嘘をつかない」ということを少し突き詰めて考えてみましょう。
例えば、人をだましてお金を儲けることは犯罪です。
誰かを裏切る行為、例えば浮気なども人を傷つけ、信頼関係を壊します。
これらは、わざわざ言うまでもないことかもしれません。
しかし、いわゆる「お世辞」はどうでしょうか。
本当は思ってもいないのに、相手によく思われたいから、相手の機嫌を取りたいからと、口からつい出まかせを言ってしまう。
これは、コミュニケーションを円滑に行うために時に必要だと思うかもしれません。
でも、心からそう思っているわけではないことを、本当の自分は知っているので、お世辞もやりすぎると、相手にとっても自分にとっても毒になります。
私も経験がありますが、無理してお世辞を言った時って、後からなんとも言えない後味の悪さを感じるものです。
これは相手には分からないことかもしれないですけどね。
私の場合、本当に心からそう思っているのか、それとも人を褒めることでよく思われたいがために言うのか、自分で知っておくこと。言葉を発する前に見分けるようにしています。
あるいはまた、相手を傷つけない為の嘘をついたという経験はありませんか?
これは難しいですね。
ケースバイケースだと思いますが、あくまでも嘘をつかないで済むならそれがベストだと思うんです。
よく議論に上るのが、家庭内でのこんなやり取り。
パートナーが作ってくれた食事が、例えばとても塩辛かった。食べた感想を聞かれて、さあ、どう答える…?
率直に感想を言うか、相手の機嫌を損ねないように嘘でも美味しかったと言うか。意見が分かれるところかもしれません。
私ならどうするか。パートナーと普段から正直に何でも言い合える仲なら、変に嘘はつかず、作ってくれたことへの感謝も伝わるように言葉を選びつつも正直に伝えると思います。
案外相手が嘘を言っているか、正直に話してくれているかって、相手には何かしら伝わるような気がします。
他人に対してだけでなく、自分に対して嘘をつくのもできればやめたいものです。
本当は苦手な人なのに、「この人たちといると私は楽しい」と自分に思い込ませようとしたりするのも、自分の気持ちを偽り、自分を騙していることになります。そういう時って、決して心はクリアで穏やかではないですよね。
自分の言動を注意深く観察し、言葉や行動を選ぶことはとても大切だと思います。
事実に基づくことなのかどうか?物事の本質は?真実は何なのか?
正しく考え、正しく導かれた答えなのか?
「ヨガスートラ」では、本当の意味で正直を実行すれば、おのずと物事は成しとげられる。
正直を貫く人には、自然と結果がついてくると言っています。
どうしても、私たちは目の前の結果が早く欲しいあまりに、簡単に自分に嘘をつき、他人にも嘘をつき、真実ではないことに流されてしまいます。
自分にも人にも正直に、真実を見極めながら正しく考え、正しく言葉を発し、正しく行動すること。
日常生活の中で実践していきたいものです。
>>次は、“アスティヤ(不盗)”です。