何のためにヨガをするの?ヨガの究極の目的とは?
ムサコヨガのカナコです。
2020年9月で、ムサコヨガは5周年を迎えます。
今までクラスに参加してくださった様々な方たちのお顔を思い浮かべ、ドキドキしながら初めてスタジオハコスやスクエア荏原でクラスを開催した、当時のことを懐かしく思います。
改めて、5年間続けてこられたのは、皆さんのおかげです。
身体が柔らかかったりスタイルのいい人=ヨガができるわけじゃない。
年齢や性別やヨガ歴、もちろん身体の柔軟性なんかに関わらず、みんなにヨガをしてほしかった。
ヨガの素晴らしさを知ってほしかった。
私が武蔵小山でヨガ教室を始めたのはそんな理由からです。
微力ながら、みんなに少しでも「ヨガをしていて良かった」と感じてもらえていたらいいなと思います。
そんなわけで。
原点に立ち返るという意味も込めて、今回はヨガをする目的についてブログを書いてみようと思い立ちました。
人はなぜヨガをするのか
そもそも、皆さんは、なぜヨガを始めようと思いましたか?
運動不足や肩凝りを解消したかったり、ダイエット、何かよく分からないけれど健康のために良さそうだから…?
きっかけや動機は何だってOK。
大切なのは、何のためにヨガをするのかというゴール設定だと思います。
向かっていく方向が分からずなんとなく歩いていても、途中で嫌になって歩くのを止めてしまいますよね。
自分はどこに向かいたいのか。その為に何をすればいいのか?
初めはなんとなくでも、ヨガを長く続けて人生に役立てるためには、「ヨガをする目的」を自分の中で理解しておく必要があると思うのです。
既に目的がはっきりしている人もいるかもしれません。
でも、多くの人が、あまり目的を意識することなくヨガをしているのではないかと思うのです。
分かるけど、そう言われてもなぁ、、、という方!
私がなぜヨガをずっと続けているのか。良かったら参考に読んでいただければと思います。
一時的なものと、永久的なものの違い
私が今までヨガを学び実践してきた中で皆さんに伝えられることは、ずばり、ヨガの目的は、“自分の内側に、究極の幸せである「平安」を見出すこと“ です。
私たちはみんな幸せになりたくて、外側に幸せを探します。
ところが
いくらお金を稼いでも
大きな家や高級車を手に入れても
会社で重要な地位についても
大好きな人と結婚して子どもを授かっても
100%望んだ通りの人生が手に入るわけではありません。
人生には予期せぬ様々なことが起こります。
今回の新型コロナもその一つ。
手に入れたら幸せになれると思っていたものは、いずれなくなってしまったり、自分の心が変わって大好きだった人が嫌いになったりしてしまうのです。
なぜなら、自分の肉体を含む形あるものや、自分の心というのは、あくまでも「一時的」なもので、永遠ではないからです。
でも、私たちの最も内側にある存在そのものは永久的なもの、普遍的なもの。
人生で様々なことを経験し、たとえズタズタに打ちのめされるようなことがあったとしても、その部分は誰も傷つけることができません。
変わりゆく外側に対して、内側の神聖な場所、言い換えると「魂」は、進化し続ける永久的な存在なのです。
だからこそ、ヨガの練習では、瞑想などを通して外側に向きがちな心を内側の深い部分に向ける練習を繰り返し行います。身体を整えるアサナや心を鎮める呼吸法はその準備だと言うことができるでしょう。
平安とは何か
私が考えるに、内なる「平安」とは、以下のような状態を表します。
■あなたがしていることや心で感じることなど全てに気づいている(目撃者の意識)
■どんな状況にあっても満ち足りている(心の満足、欲望からの自由)
■”好き嫌い”を超えてすべての存在の中に美しさを見出せる
■何をするにも愛と慈悲の精神をもって行動できる
他のエクササイズやスポーツではなくて、ヨガをする理由。
こんなの絵に描いた餅だと思われるかもしれませんが、これこそがヨガの練習を絶やさず続ける理由です。
たとえば減量という目的でヨガをするのではれば、私にとってはそのほうがよっぽど簡単だったと思います。
私は師匠から、「ヨガは気づきの運動」であり、「瞑想は心の筋トレ」だと教えられました。
本当にその通り。きまぐれ屋の心を正しく鍛え、染み付いた心の癖から自由になり、どんな時も平静でいることはそう簡単ではありません。
だからこそ、やりがいがある!!!
だからこそ、健康な身体で長生きしなければ。
皆さんも、良かったら一緒にヨガのゴールを目指しませんか?
6年目のムサコヨガも、どうぞよろしくお願いします!
ムサコヨガ主宰
ヨガ講師 イシコカナコ
追記:ブログ内の写真は私が2017年インド ヴァラナシ(ベナレス)で撮影したお気に入りの写真です。