【実践するヨガ哲学vol.5】「アパリグラハ」: 執着を手放す
“ヤマ”の最後、シリーズ第5回目は“アパリグラハ(不貪)”です。
>>ヨガの八支則についてはコチラ
1. ヤマ/Yamas 【禁戒】
他人との関わり合いの中で、慎むべき行為のこと。
アヒンサー(非暴力)、サティヤ(正直)、アスティヤ(不盗)、ブラフマチャリヤ(禁欲)、アパリグラハ(不貪)
2. 二ヤマ/Niyamas 【勧戒】
自分自身とのより良い関係を構築するため、進んでやるべき自己鍛錬。
シャウチャ(清浄)、サントーシャ(知足)、タパス(苦行)、スワディヤーヤ(聖典の学習)、イーシュヴァラ・プラニダーナ(神への献身)
“アパリグラハ(不貪)”とは、文字通り「貪らない」ことであり、つまりどれだけ所有しても飽き足らないほど欲しがる行為を慎みなさいという意味です。
私たちは不思議なもので、欲求のレベルはどんどんエスカレートしていき、「もっと良い車を持てば幸せになれる」「もっと綺麗なドレスを買えば美しくなれる」と、際限なく繰り返していきます。
なぜなのでしょうか?
そこには、常に「満たされない」という感情があるからです。
この感情は、自分自身が作り出しているものなので、自分でコントロールする他、終わりがありません。
逆に言えば、もし私たちが自分自身の内側と向き合う時間を少しでも作れば、すぐに解決するでしょう。
また、アパリグラハには、同時にこんな意味もあります。「贈与を受けない」ーつまり、何かの見返りを期待された贈り物を受け取らない、ということ。
贈り物は、本来純粋に相手のことを思いやり、ただ与えるためだけに行うべきですが、贈与と分かって受け取ってしまえば、それにどうにか応えなければならないという義務感に縛られてしまいます。
私たちの心は本来何からも縛られることがなく自由でありたいはずです。
逆に自分が贈り物をするときの気持ちも、改めて見つめ直してみるといいかもしれませんね。
私たちがヨガを練習するのは、あらゆる“執着”ー物や名声や他人からの評価から自由になるためであるとも言えます。
必要かどうか分からない多くのものを抱えるよりも
必要最低限で満足できる心でありたい。
人生をシンプルにして、目の前にある小さな幸せに気づきましょう。
きっと人生がずっと豊かに感じられるはずです。
>>次回から”二ヤマ”に入っていきます。最初に出てくるのは、”シャウチャ(清浄)”です。