“結果に執着しない” “ゆだねる”と他力本願の違いー バクティ・ヨガとは?
子育ての大変さは年齢や子どもの個性によって様々だと思います。
私も1歳3ヶ月のチビ怪獣と格闘の日々。良かれと思って手間隙かけて作ったご飯をお皿に置いた瞬間、涼しい顔で床に投げつけられ、キィーっとなってしまうことも日常茶飯事です。
だからと言って、もう次の日から何も作らない!とはならないのが、責任感以上に、見返りを求めない無償の愛というのでしょうか。
インドでは、3歳までの子どもを神様のように扱うと聞いたことがあります。神様のためなら全てを捧げられるというインドの人たちの精神が教育の面にも受け継がれているのでしょうね。
昨年末のクラスで「ゆだねる」をテーマにヨガ哲学のお話をさせてもらいました。
普段私はクラスの中でもこの言葉をよく使っています。
身体的な緊張を解くことやリラックスという意味もありますが、もっと大切なのは精神的な意味での「ゆだねる」です。
私の師も「ゆだねないと(悩みやストレスなどから)解放されない」といつも言っています。
ゆだねるとは、宗教を超えた「神」という大きな存在(「イーシュワラ」)を信じ、自分が行う行為の結果を期待したり執着することなく全てを捧げることを意味します。
私たちは何かをする時、無意識的に、結果=報酬や自分への称賛などを期待して行動します。その結果が良いものである時は喜び、悪かった時は落ち込みます。結果を気にするなと言われても難しいですよね。
私も初めてこの教えを聞いた時は戸惑いました。
「ゆだねるって、人まかせでもいいってこと?」
「結果がどうでもいいんだったら、誰もがんばらなくなるよね?」と。
その後色々と学んでいくうちに少しずつわかってきたのですが、
ヨガの教えが説いている結果に対する無執着とは、自分が今できることを100%努力して行い、その結果がどんなものであろうとも受け入れる態度のことを言っています。
でも、一体どうしたらそんな境地に至れるのでしょうか。
そんな時に役に立つのが、「バクティ・ヨガ」。
バクティヨガとは、宗教を超えた「神」という一点に心を集中し、いつでも神のことを身近に意識しながら生活すること。
例えば神の名前を声に出し、神のことを想いながらキルタンを歌う、ジャパする、神のシンボルを崇拝する、また師のもとで神の話を聞くこと。
そうすることで、個人の「エゴ」が少なくなって、一時的な”好き嫌い”の感覚から解放されます。(瞑想も簡単になる!)
行うこと全てが神のため、神様への贈り物という感覚だから、結果を考えずがんばれるというわけなんです。
激動の時代、ウイルスとの闘い、先が見えない世の中。
子育てに限らず、様々なことが思い通りにいかず、途方に暮れてしまうようなことも多いかもしれません。
そんな時、したたかに一日一日を生きる人々の姿が印象的だったインドの風景がふと頭をよぎります。
今自分にできることを粛々と行いながら、ゆだねる。
最後になりましたが、今年一年、大変な状況下でも皆さんが少しでも心身ともに軽やかに、健やかに過ごされることをお祈りします。
2021年(丑年) 1月吉日
イシコカナコ